は、何故ハンターを志したんだ?」

 ハンター試験の、ほんの少しの休憩時間のことだった。飛行船が静かに駆動音を立てながら風を切って進んでいく。クラピカはその音を床伝いに感じながら、こちらに背を向けて窓の外ばかりを見ている女の子に声をかけたのだった。先ほどの残酷且つ危険な試験をくぐりぬけたこのメンバーの中で、一見すごく優しそうで気弱そうでいい人そうで、虫すらも殺せなさそうなの風貌は、ゴンやキルア、そしてヒソカの次に目立っていた。現に彼は彼女が人を傷つけようとしたり、増してや迫りくる危険に戦慄めいている所すらも見たことが無かった。そしてその彼女は今も、ぼうっとして窓の外を見ているのである。まるで隙だらけだ、何でこんな女なんかが。キルアなんかが言いそうな言葉だと、頭の片隅で考えた。逆にそれ自体が彼女の強みであるかもしれない、ある意味では。
 飛行船の、2メートルはある大きなガラス窓の前には突っ立っていて、先ほど空気中に響いたはずのクラピカの言葉はまるで聞こえていないかのようだった。いや、彼女の場合、聞こえていないのだろう。そう予想するに容易かった。コツコツと靴音を立てながら彼女に歩み寄り、すぐ横に立ってもう一度口を開いた。「横、ご一緒してもよろしいだろうか?」

「あっ、クラピカ!気付かなかった!」
は全く持って隙だらけだな。よくもまあ試験を突破出来たものだ」
「ひどい!私逃げ足だけの速さにだけは自信持ってんの」
「逃げ足が速いのは私も知っている」
「クラピカは強いからいいけど、私全く実践向きじゃないからね」

 は試験でいい人達に出会えてよかったと、心底思っていた。ハンター試験が始まって間もない頃に、お姉さんハンカチを落としてるよ、とゴンに声をかけられたのが、始まりだった。その時にありがとう、とハンカチを受け取った時に触れた手は、彼女にとって久し振りに触れた外の人間の体でもあって、とても乾いていたし、幼かったし、温かかったのであった。それからというもの彼女とゴンは空き時間にぽつぽつと会話するようになった。自分自身の話をすると、ゴンもまたそれに全力で答えてくれた、それはまるで春の青い風のようだった。彼はとても話しやすく、純粋な子どもだった。ゴンと関わりを持つようになったことで、キルアやレオリオ、クラピカとも芋づる式に喋るようになったが、その中でもクラピカとは一際仲良くなった。ただあまり話さずとも、彼は金色の髪を持つ美しい容姿と明晰な頭脳を持っていて、また身体的にも精神的にも強い人間であるらしいということは試験中少し見ているだけで分かった。はそれらがうらやましかった。もし自分が彼ほど出来た人間であれば、こんな試験なんて受けなくたってもよかったのに。でも、その一方で、こんな試験を受けると決めたから、ゴンやクラピカに出会えたのだとも考えていて、そんな自分を幸運だったと思うようにもなっていた。

 外の人間との関わりが永らく断絶されていたせいで、忘れかけていた人間関係の構成の仕方、会話の仕方、息継ぎの仕方、それら全部が自分の中で青々と蘇ってきているのが感じられた。その自分が変わっていく様子を第三者的に外側から見つめなおしては、そんな自分をとても面白いと思ったし、また懐かしいとも思った。たまには新しい関係を構成するのもいいもんだ。彼女はホームに帰ったら絶対にこの試験で出来た素敵な友人たちの話をしようと心に決めていた。こんな話は彼らにくだらないと一蹴されるだろうか?それとも、共感して一緒に笑ってくれるだろうか?果たしてどちらに転ぶか、彼女にとってそれは難題に挑戦するかのような事と同義だった。そういった決心について物思いに耽りながら、窓の外を見ていた。窓の外には雲の海が並々と並んでいて、きらきらと日の光を浴びている。そのどれもが高速で飛行船の後ろ側へと流れていく。高い位置にある空の色はこんなにも青いのだと、彼女は飛行船に乗って初めて知ったのであった。

の、ハンターを志す理由を聞いてもいいか?」
「いいけど、突然どうしたの?」

 クラピカの目線は、窓の外を真っ直ぐ見ていて、の方を全く見ていなかった。しかしその顔にはうっすらと感じのよい微笑みが浮かんでいて、その様子すらも絵画のようであった。ああクラピカは本当に何をしていても素敵なんだ、の中でクラピカに対する羨望がますます膨れ上がった。

「いや、聞いてみたくなっただけだ。もし話したくなければ、別にいいんだが」
「いやいや全然そんなことないよ!私はね、」

 ほんの一瞬だけ、話すのをためらった。他のひとがどういう理由でハンターを志しているかはそれまで彼女は全く知らなかったが、もし自分の理由が他人のそれと比べて小さなものだったとしたら。あげく、クラピカにくだらないなと心の中で一蹴されてしまったら。せっかく出来た素敵な友人にそんなことは思って欲しくはなかった。しかし、こうなってしまっては言うしかない。は、クラピカを信じることにして、口を開いた。

「笑わないでね」
「笑わないさ」
「クラピカのそれに比べてくだらないって思うかもしれない。自分で言うのもなんだけど」
「わかった」
「・・・私ね、本当弱いし、くだらないし、情けないし、昔から巣の中のヒナみたいに口を開けて餌をもらうばっかりで、自分では何にもしないっていう生き方しか今までしてこなかったの」

 クラピカは静かに頷いた。は素早く彼の表情を伺った。表情をほじくり返して、その裏にある心の中の本音を掘り出そうとしたが、そこからは何も読み取れなかった。どうしよう、馬鹿にされていたら。は戸惑いながらも続けた。

「だから、自分に自信をつけようと思ったの。だから私はハンターになるために試験を受けているんじゃなくって、ハンター試験をクリアすることに意義を感じているの。ハンター試験って、難しいしとても危ないってよく人から言われるでしょ?だから、そんな難しくって危ない試験をクリアしたら、お前やるじゃんって故郷の人たちに褒めてもらえる気がしたの。だから、受けたの」
「そうだったのか。私の場合とは全然違うな」

 クラピカはくすりと笑ったが、それはとても和やかで愛らしいもので、彼女はそこに暗く淀んだ感情があるわけでは無いと悟って心底安心した。また自分自身からも笑顔が自然に沸き上がってきて、安心感が心に沁みわたった。ホーム以外でこんなに安心したことすらも、彼女にとっては目新しく、嬉しいことだった。クラピカはやっぱり素敵だ、私のれっきとした友人だと彼女は心の中で強く頷くと共に、こんな素敵な友人ができた事を誰に対してでもなく誇りに思う気持ちすらもうっすらと滲ませた。

「クラピカは何でハンターになろうって思っているの?」

 軽い気持ちでした質問だった。しかしほんの少しだけ、他人の秘密に触れる時のような高揚感が全くないと言えば嘘だった。口から飛び出したその言葉は、クラピカの表情を一瞬曇らせた。ああ、ほらね、クラピカは私なんかとは違う理由でここにいるんだ、と小さく卑屈な自分がの心の中で意地悪く笑う。

「私の一族を襲って滅ぼした幻影旅団を潰すためだ」

 お互い表情は読めないままだ。むしろ出来るだけ感情が表に出るのを防ごうとしている結果なのかもしれない。飛行船の駆動音が一層大きくなったかのように感じられた。

「・・そうだったんだ。クラピカは、その・・復讐のためにハンターになったんだね」
「そうだ。くだらないと思うかもしれないが、それが私のすべてだ」

 クラピカは完璧だ。きっと私なんかよりもっともっと努力して、苦労して、自分を鍛えているんだろう。は思った。でも、その自分の全てが幻影旅団に対する復讐のためだと、クラピカは自分でそう言っている。金色の髪をしているのに、復讐だなんてそんな真っ黒なことばかり、考えていたの?せっかく、貴方は完璧なのに!!幻影旅団が何で、どんなもので、何をクラピカにしたのかは知らないけれど、こんな情けない私ですらこんなに人生を楽しく過ごしてるのに、クラピカはもっと幸せになるべき人間だわ!!はそう思うと、なんだかひどく寂しくて、もったいなくて、思わず顔をしかめてしまった。

「どうかしたか?」
「ううん・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「あのね、クラピカ」
「うん?」
「クラピカはすごいの。私なんかよりずっとすごいの。完璧なの。でも私の人生観において復讐を楽しいものか楽しくないものかで判断するとね、それは俄然楽しくないものなの!それより、仲間や友達と仲良くはしゃいだり、騒いだり、そういうことの方が楽しいと私は思っているの」
「・・・・」
「で、クラピカは私なんかよりずっと完璧な人間だから、私なんかより幸せになっているべきだと思うの。でもなんだかクラピカは辛そう」
「・・そうかな。そうでも無いと、自分では思っているんだが」
「だから、私はクラピカに、ハンターになったら楽しいことも見つけてほしいと思うよ。復讐と打ち消しあって、結果的にプラスになるくらい、楽しくて幸せな思いをしてほしいと思うよ」
はすごいな。最近出会って短い付き合いなのに、そんな事まで言ってくれるのか。うれしいよ」
「だって、クラピカは私の友達だもん」
「そういうことを真顔で言えるあたり、はゴンと似ているな」
「そうかなー?いや、あんなに私は素直じゃないよっ」

 はそう言うと急に顔を更に顰めた。いきなり長い間喋ったからか、唾を喉にたくさん送り込むようにゆっくり喉を鳴らした。彼女は肩まで伸びている、うっすらとウェーブのかかった髪をつまみ、そこから枝毛でも探そうとしているのだろうか、しきりに両手でいじりだした。何処か食えない所があるにしろ、彼女はやっぱり見かけ通りの、17,8歳の何処にでもいる感じの女の子なのだ。

「私、さっき自分に自信つけるためとか格好いい事言っちゃったけどさ、実はちょっと・・・喧嘩して家出中なんだよねえ」
「そうだったのか。家族ととか?」
「うーん・・・ちょっと違うけど、まあ半分そんなもん。本格的に家出してやろうと思ったのはいいんだけど、宿が無いし、家出している間何して過ごそう?って考えてたから、そう思うとハンター試験ってすごくいいポジションの試験だなって。もしこの試験から生きて帰って来れたら、私故郷に戻ろうかって考えてるの。仲直りしに。ハンターライセンスを手土産にしてさ」

 かっこいいでしょ、そう言って笑う彼女の顔は、何時の間にか傾いていた太陽のオレンジ色の光に横から照らされて、美しく燃えていた。クラピカはその言葉に笑って応えた。飛行船の空を滑る音は相変わらず其処にあり、それが現実感と彼女のふわふわとした言動の醸し出す幻を繋ぎとめているかのように感じられた。彼女は人を別次元に連れて行ける何かを持っているかもしれない。
 お腹すいたね、ご飯一緒に食べに行こう。は弄っていた髪の毛をぱっと離したかと思うと、くるりと方向を変えて数歩程クラピカから離れた。その足取りは軽やかで、食事を楽しみにしてることが手に取るようにわかったので、彼もそれに苦笑しながら続いた。レオリオやゴンとかも呼ばなきゃ。でもゴンはどこへ行ったんだろう、キルアは?ああ、今日もお腹空いた!くるくると言うことを変えながら食堂を目指して進んでいく彼女の背中が赤色の夕日で真っ赤に焼けているのを見ながら、クラピカは金色に輝くロビーを後にした。何時の間にかその手や背中にはじんわりと汗をかいていて、顔には穏やかな微笑みが広がっていた。


 (もっと幸せに・・・)さっき彼女に貰った言葉を何度も反復して心の中で噛み砕いて、そしてにそっと囁いた。そういう言葉をかけてもらえること自体が、またきっと私の幸せなのだよ。





>>







































 ベッドの上に放り出しておいた携帯が、突然振動した。はそれまで椅子に行儀悪く腰掛け、ぽりぽりとチョコレートを齧りながら飛行船に乱雑に置いてあった雑誌に夢中になって読みふけっていたのだが、いきなり発生したバイブ音に飛び起き雑誌を机の上に放ると、携帯に手を伸ばした。ディスプレイに表示されている名前を視認すると、ああやばいよ、と一人呟き、親指を通話ボタンに乗せたまま、それを押すか押すまいかほんの数秒迷った。彼女は結局通話ボタンを押したのだが、その理由はこの電話の向こう側に居る相手をこれ以上怒らすとどうなるかを想像したくなかったからに尽きる。
 チョコレートのせいだろうか、やけに喉がかわいた。

「もしもし」
か。今何処にいる?」
「さあね、知らない」
「何をそんなに怒っているんだ」

 電話に出たのは落ち着いた男の声だった。その声にはすこし疲労と呆れの響きが含まれていたが、その声を聞くや否やはその声の相手があまり怒っていないことを瞬時に正確に悟り、小さくよかったと心の中でつぶやいた。怒られるのは、嫌いだ。ベッドにごろんと横になると、シーツの波のエントロピーがより一層増した。頭に当たる枕の感触はふかふかとしていて、食後ともあって少しの意識は眠気に霞んでいた。

「シャルがお前が何をしているのか調べたぞ。お前、ハンター試験なんて受けていたんだな。必要ないだろう」
「いいじゃん、受けたってさ」
「どうだ、試験は?もう落ちたか?」
「あいにくまだ残ってます。あとちょっとで試験終わりなんだから」
「奇跡だな」
ってハンターライセンスなんか欲しかったんだ?知らなかった。オレの貸してあげるのに」

 突然電話口の声が変わったが、は少し考えたあと、何事も無かったかのように話を進めた。その時一番に考えついたことは二人は一緒に居て自分との会話を見守ろうとしているのか、という事だった。いや、二人一緒にいようがいまいが関係無い、電話を盗聴する上にその会話に参加することぐらいはしそうな人達だ。どちらにしろ、大した差は無い。

「シャルも聞いてたんだね。知らなかった」
「いい加減戻っておいでよ。オレたちがせっかく揃ってホームにいるのに。何時仕事が入るか分からないし、ノブナガなんかそろそろ外にフラフラしに行くか、なんて事言ってたし」
「だからさ、大体仕事って何なのよ?いっつも私には内緒なんだからさ。仕事が入る度に私は除け者にするくせに、みんな楽しそうに出かけて行くんだから」
「そう言うなよ。とにかく戻って来なよ」
「しかも、一回の仕事に何か月も掛ける時だってあるでしょ。その間、私は一人ぼっちで流星街でお留守番、たまに帰ってきたらきたであんまり皆揃う事も無いし、」
「みんなそれぞれ都合があるんだよ」

 相手は困った様子だったが、はそれをものともせず、少し怒りを滲ませながら電話口で喋っている。言い方はきつくなる一方で、シーツの上に腕を滑らし、頭の中ではこの試験で巡り合えた友達の顔が弾んでいた。あとで喋りに行こうかな。相手してくれるかな・・・期待と憂鬱が入り混じった溜息を、電話口に伝わらないようにそっと吐き出す。その色はあの夕日と同じ金色をしているのかもしれない。クラピカに、会いたい。

「試験は、楽しいよ。大事な友達も、出来たの」

 そう言うと、クロロが何か言う前に、シャルナークの批難めいた驚きの声が耳を劈いた。ハンター試験で慣れ合うという事が如何に危険か、などということを滔々と語るシャルナークの声を子守唄に、はいよいよまどろんでいた。そうだ、今日はクラピカとお話出来て一番楽しかった。素敵な時間だった。次いでふうとついて出た小さな息は、チョコレートの香りを乗せながら、ホテルの一室のように整った部屋の中に消えていった。溜息ばかりついて、何だか変なの。いや、彼女はその時心に知らず知らずのうちに芽生えさせていたものの名前をまだ知らなかっただけである。今はただただ、試験が終わっても仲良く友達でいたいな、そうとだけ考えていた。それらの心の声が電話の向こうの二人に伝わることが決して無いように、注意することも忘れずに。やがて彼女の顔は笑顔でいっぱいになる。クラピカのことを考えると、自然と笑顔がにじみ出てきてしまうのだ。
 会話の傍らで、彼女は微笑み続ける、

「うん。うん。わかった。気をつけるから。おやすみ、お兄ちゃん。試験終わったらすぐ戻るから」

 運命がすぐそこで絡まり合って大きな闇を作っていることすら、知らずに。







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