久しぶりに二人で出掛けよう。彼の口から珍しくその言葉が出てきたのはもう2週間も前の事。その日なら午後から非番で空いているから、お前も空けろ。私は大喜びしながら、スケジュール帳の中のその日付の横にどくついピンク色の文字でデートと書いた。何時に待ち合わせしよう?わかった、1時ね。スケジュール帳をめくれば、最後にデートしたのはもう2カ月も前だった事を知る。久しぶりのデートだ!わあい!電話口で大喜びすると彼もちょっと嬉しそうに笑っているのが耳元で洩れてきた。
 そう、日付は今日のはずだった。しかしもう2時になるというのに、まだ彼は待ち合わせ場所に来ない。電話を2,3度、メールもたくさん送っているというのに、どちらも繋がらない。私の中であるひとつの予感と、それに対する諦めが生まれつつあった。いらいらとしながら待っていると、目の前に一台のパトカーが止まった。あれ、おかしくない、どういうこと?
 中から降りてきたのはそのまさかだった。普段着で来るはずだった彼は仕事している時の服に何故か着替えていた。私は心の中で観念した。つまりそういうこと。
「わりい、仕事が入っちまった」
「今何時だと思ってるの?」
「すまなかった。中々忙しくて連絡出来なかった。仕事が入ったんだ、それで――」
「仕事に行くのでデートは出来ません。2か月ぶりのデートとあって非常に残念ですが、こればっかりは仕方ありません。申し訳ありませんが、またの機会にデートは延期しましょう。お待たせしてしまった上に申し訳ありません。心からお詫び申し上げます。土方十四郎。」
「・・・そういう事だ。すまねえ。埋め合わせはするから」
「ばーか。一か月前のドタキャンの埋め合わせが今日だったじゃん」
 仕事だと言う彼は刀をさしていなかった。つまりは、そういう事だ。声も顔も、怒りが出てこないよう力いっぱい押し殺した。悲しみが涙となってこぼれないように、目を大きく見開いた。ああ、目がうるんでいるのに気付いたかしら。でもね本当は、少しだけ気づいてほしい。
 私は賢いから、聞きわけがいいの。なんだかんだで許してあげるの。そういうふりをしてこの場を終わらせてしまおうと思った。大体ね、仕事と女どちらが大切なのとかそういうくだらない事聞かないようにしているの。ミツバさんだったら多分聞かないだろうし、と私はそう思う事によって自分に今まで様々な我慢を強いてきたのだ。こうやって聞きわけのいい女の振りをしているのには理由があった。つまりはミツバさんを意識してやっているのであった。だから土方さんは私の本当の姿を知らない。本当は今この場でぎゃーぎゃー泣き喚いて怒鳴り散らしてしまいたいと私が思っている事を、知らない。ミツバさんとは大昔に一回だけ口を利いた事があったが、この女の人には私はどうやっても勝てないと感じた。私は深く深く恥じ入った。私がこの人に追い付く事は永遠にないだろう、そう絶望させるに十分だった。
 だってこうでもしないと自分がいい女になれない気がするのだ。意味を履き違えていると思われてもよかった。とにかく嫌だった、ミツバさんと比べられるのは。しかしそもそも土方さんとそんな事について話した事も無かった。それは私の弱さの証明になっていたし、この期に及んでもなお私はまだ繕っていた。

 私の頭の中には幼馴染の顔がぐるぐると旋回する。私ね、本当は知ってたんだよ。土方さんが今日お見合い相手とデートしにいくの。今日御食事会でしょ?よかったね、相手に気に入られて。
 数日前の会話がよみがえる。あれは数日前に、街で数年ぶりにばったりと幼馴染に出会った時の事だった。久しぶりーと抱き合うと、御互いの健在を確かめ合った。その時は出会えた幸せでいっぱいだった。そして道端で話するのも何だから、と喫茶店に入って色々と話をした。彼女の家は有数の土地持ちの生まれで、その上一人娘だったから彼女は大事に大事に育てられた。文字通り箱入り娘で、この歳になってまともな恋をした事が無かった。それは多分親が異性を遠ざけたからなんだろうけれど、と私は思ったが口には出さなかった。
 そんなある日、正確には2カ月前、親が見合いの話を持ってきた。元々は昔から付き合いのあった松平殿が提案した見合い話で、相手は真選組の副長だとか。武装警察のトップの次で頭も切れ、刀の腕もたつ。その上浮いた話は無く、女っ気のない生活を送っているそうだ。写真を見せられて、これほど若くていい男はいないと親は大喜びだった。彼女も思った以上の男で嬉しくなった。実際に顔を合わせてみると、写真以上のいい男で、その上誠実そうだった。見合いが終わる頃には彼女は恋に落ちていた。親もそれを喜び、それからその男との結婚前提の付き合いが続いている。私が久しぶりに会った彼女から興奮気味に話されたのは、こんな所だった。

 ていうかさ、それ土方じゃん。今しがた私が話した、半年前に付き合いだした彼氏じゃん。私は口からその言葉がぽろっと出てくるのをどんな思いで堪えたか。久しぶりに会えた喜びが一転、醜い嫉妬の溶岩みたいなもので心が一杯になった。
 彼女はにこにこと微笑んで頬を赤らめ、ああ本当にこの子は土方さんの事がすきなんだなという事がわかった。彼女が言うには今度もう一度食事会を開くらしい。まさかと思い、何日なのかそれとなく聞いてみると、その日付はまさしくデートのピンクの文字が躍っているその場所の数字だった。トンカチか何かの鈍器で頭を思い切り殴られたかのような気持ちがした。喫茶店を出る頃には、気持ち悪いもので頭の中がいっぱいで、結局家に帰って夜通しずっと泣き続けたのだった。
 今日待ち合わせ場所に来るにも、神に祈るような気持ちがした。今日会ったら、否が応でも私はその話をするつもりだった。1時を過ぎても彼は来なかったが、この時刻までに断りの連絡を入れてこなかったら私は優先されたのだ、と確信することができた。この前の彼女の話聞いた時の自分を慰める事ができた。だから1時を過ぎても土方さんが来ない事にあまり不満は感じなかった。大丈夫、遅れているだけ。大丈夫。そう思う事が出来た。
 でも、今日土方さんは刀をさしていない。だけど仕事だという。礼服を持っていない上に仕事を多く抱え込んでいる彼は、デートの際家に迎えにくる時にも仕事の制服で来る、そして家の部屋で普段着に着替えるのだと幼馴染は言った。つまりは、そういう事だ。彼は幼馴染を優先したのだ。それだけ、それだけだ。もしかしたら、お見合いで幼馴染に心が動いたのかもしれない。だから、私に御見合いした事黙っていたのかもしれない・・・。

 じゃあなと頭に手を置かれる。その時パトカーの中を見ると近藤さんが乗っていた。なんだか複雑そうな顔で私の事を見ている。その表情を見て私は確信を深め、同時に改めて傷ついた。私こんなに聞き分け風を装っているのに、もしや本心を見られてしまったかと思ってひやりとした。
 土方さんはそのままパトカーに乗って行ってしまった。取り残された私は周囲の視線を痛く浴びながらも、とぼとぼと帰りの道をたどる。ああなんだかお腹が無駄にすいた、甘いものでも食べて帰ろうかしら。今日の為に新しく買ったワンピースが彼女のせいで無駄にされた気がして、腹がたった。そして次には、嫉妬ばかりする自分に腹がたった。もう誰に怒っていいのかわかんないよ。わかんない。
 天下の往来で涙を流しながら歩くなんて、そんなみっともないことしたくなかった。だけど、熱い熱い涙が目の淵からこぼれでてくる。私はうつむきながら、人にぶつからない様に歩いていた。やっぱり、団子屋には寄らずに帰ろう。団子屋の前を素通りしようとした時のことだった。
!!」
 右からよく知ってる声が私を呼んだ。駆け寄ってきたのは神楽ちゃんだ。団子屋で何か食べていたらしく、口から何か串のようなものが突き出ている。
 私は碌に顔を見せれるわけもなく、俯いて立ち止る事しか出来なかった。
「久しぶりネー、って、うわっ泣いてるアルか?どうしたの?」
「どうした?」
 神楽ちゃんの上に被さった声は銀ちゃんだと判った瞬間、私は顔を上げていた。万事屋だったら何とかしてくれるかな、こんな醜い私の事。涙が一気に零れた。




 事情を話すと、神楽ちゃんと銀ちゃんはぼろくそに土方さんを責めた。だが話していくうちに段々気持ちが落ち着き、思考が明瞭になってきた。涙も何時の間にやら止まって、話の筋をしっかり通せるようになると、色々と考える事が出来た。
 そうだ、とりあえずこの宙ぶらりんな状態を止めて欲しい。私を振るならさっさと振ってその相手と結婚して、私と付き合うのであればその人を振ってさっさと私の所へ来てほしい。でも直前まで連絡しなかったって事は迷ってたってことだよね?そうだよね?彼女いながら別の女と結婚前提で付き合うってどんなマダオだよ、クソだよ、正義の風上にもおけねえよ!そう叫ぶと神楽ちゃんがそうだそうだと手を叩いて喜んだ。可愛いなあと思わず頭をよしよしと撫でると、今度は嬉しそうに彼女は首を傾げて笑うのであった。ああ、私も神楽ちゃんみたいに笑えたら。思えば私は、彼の前でミツバさんに負けないように繕うことばかり考えて、あまり正直に笑えなかったのかもしれない。今さら後悔しても仕方のないことだと判っていたが、それでも後悔の気持ちは次から次へと滝のように思考の中を流れた。ああ、もっと気品よく振舞えたら。ああ、もっと賢かったら。ああ、もっと嫉妬深くなかったら。そして何より土方さんに嘘なんてつかなければよかった。自分を偽るなんて事しなければよかった。
 自分を責めながらも、また土方さんを責める事も忘れなかった。土方さんの、うそつき。お見合いしたんだったら言ってほしかった。早めに、そういう話はしておいてほしかった。何で隠してたんだろう?もしあの時私が張本人から聞かなければ、今も私は本当に土方さんを信じて、今日もお仕事御苦労様またデートしようねなんてメールを送っていただろう。腹がたったり悲しくなったり、浮いたり沈んだり、そんな事ばかり繰り返す私に二人は優しく寄り添ってくれた。
「まああれだ、そんな奴とっととやめちまえ」
「あー銀ちゃんだったらお見合いとかそういう話絶対に来ないんだろうな。あーこんな事になるなら銀ちゃんにしとけばよかった。」
「前半のそれってどういう意味!」
「やめといた方がいいアル、こいつ本当にマダオね。ニコチンマヨといい勝負ね、色々打ち消し合って」
「かぐらァ何かそれすっげ癪に障るンだけど!」
「あー、何か話してすっきりした。ありがとうね、二人とも」
「全然よ、これくらい。傷ついた女は放っておけないね」
「そういうこった。お前ももう無理すんな。ちったあ休め」
「うん」

 その後万事屋に遊びに行く事になった。予定がせっかく空いたんだったら鍋でも食っていけ、と銀ちゃんに言われたのでそのまま夕食も御馳走になった。新八くんやお妙さんとも会えて皆で一緒に鍋をつつきあい(というよりも私はお妙ちゃんによそってもらってばかりだった。あまりにも激しく皆が具を奪い合うので)、ビールを煽った。ヤケ酒に近かった。たくさん飲んで悲しい出来事を全部忘れようと思った。そしてさあそろそろ御開きにするか、という時間になった頃だった。時計を見ると10時をとうに回っていて、あああんなに泣いてから8時間も経つのかと少しだけ悲しい気持ちになる。そしてその悲しい出来事を結局酒に頼っても忘れられなかった自分にがっかりした。思ったより酒の回りが遅いらしく、多少ふらふらするものの歩けるし、意識はある。ガラス窓をのぞけば外には三日月が登っており、星が綺麗に見える美しい空があった。雲一つないようだ。
「送ってくわ。夜一人じゃあぶねえだろ」
「あ、いいの?ありがとう」
「銀ちゃん送り狼になるなよー!、何かされたらワタシに言うよろし!」
「あーはいはい」
 慣れきった様子で神楽ちゃんの軽口に応える銀ちゃんに私は笑いを噛み殺した。銀ちゃんはすっかりお酒が入ってて、顔が赤くなっているのが暗がりでもわかった。そういえば缶ビール何本空けたっけ?そうやって記憶の中をつついても、正確な数はわかりっこない。思考はだいぶぼやけてきているらしかった。今日はすぐに寝られそうだ。
 二人でぼそぼそと喋りながら夜のかぶき町を歩いた。道の両脇で何の風情も無い電灯が地面を白く照らしていて、私たちはその間の暗い所を縫うように歩いて行った。風が涼しく、アルコールで温まった顔に当たって気持ちいい。
「でさ、お前どうすんの」
「え?」
「あいつと」
「・・・うーん、わかんないや。これからの事あんまり考えてないや」
「そっか、・・・そーだよな」
「土方さん、私の事もう好きじゃないのかもしれないし」
「・・・」
「何か言ってよこのやろー」
「わり。まーあいつとちゃんと話し合うこったな。その時は偽っちゃいけねーよ?わかったか?」
「うん。わかった。腹割って話してくる」
 とは言ったものの今の状態で腹割って話したりしたらそれこそ大惨事になりそうだ。汚い所が全部土方さんに露見して、結局話し合った所でバッドエンド。そんな未来予想図がぐるぐると頭の中を回って気分が悪くなってきた。
 公園の傍にさしかかると、電灯が途絶え道が真っ暗になっていた。急に、銀ちゃんが私の手を掴んだ。その手はすごく熱くて、男のものだった。電灯も無くて、私たちを照らすのは月明かりだけで足元が全く見えなくて危なくて、それのせいだ、と私は思いこむ事にした。お酒が今さらぐるぐると回り始めた。風に冷やされていた身体が急に熱くなる。違う、これはお酒のせいじゃない。銀ちゃんのせいだ。だめだ、と頭の片隅で警告が鳴った。
「だいたいね、土方さんマヨばっか食べるし!」
 咄嗟に出てきたのは土方さんの悪口だった。何となく、今土方さんの事を喋らなきゃ戻ってこれないような気がしたからだった。心なしか、それを喋る声が大きくなった気がした。銀ちゃんの顔が何となく見られない。やましい事なんて、無いはずなのに。涙がじわじわと出てきた。でも私は、この涙が何処から来るのか知らない。
「煙草の匂いぷんぷんするし!服もめちゃくちゃ煙草くさいし!」
「いくら身体気遣ってあげても無視されるし!ぶっきらぼうだし!」
「ばかとかすぐ言ってくるし!ばかはあんただっつの!」
 銀ちゃんは何も言わない。手を繋いでひたすら歩いているだけだ。私はかまわなかった。
「おまけにちゅー苦いし!」空中に勢いづいた悪口を吐き捨てた。

 いきなり、
銀ちゃんは手を掴んだまま、立ち止った。私も立ち止る。ぐいっと引っ張られてそのままキスされた。驚きで涙が引っ込んだ。歯がぶつかったせいで少し痛い。
「俺のちゅー、甘えだろ?」初めて間近で見たその顔は、目がぎらぎらと光っていた。
声が、私を誘っていた。
「・・・酒の味しかしなかったよ」気押されて妙に冷静な受け答えをすると、銀ちゃんはもういっかいキスしてきた。そして舌を捻じ込んできた。その味はやはり苦かった。私は無我夢中でべろべろと銀ちゃんの舌を舐めた。初めて触れる銀ちゃんの唾液に頭がどうにかなりそうだった。
 銀ちゃんの舌は土方さんのとは違う味をしていたが、同じくらい苦かった。銀ちゃんの背丈の方が随分大きいせいで、私の顔は思い切り上を向かねばならならず、顎が吸い寄せられて首が痛い。その痛みがそろそろ苦しさに変わってくる頃、ようやく解放された。

「な、甘えだろ?」
 少しだけ荒くなった息遣いの中、そうやって夜の闇の中で笑う銀ちゃんは月明かりで妖艶に青白く光っていた。歯の間から覗くぬめぬめとした舌にもう一度触れたいと思った。二回もキスしたのにちっとも甘くならなかった、にがいアルコールの味しかしないあの舌に。
 すると車の音が迫っているのに気付く、銀ちゃんの後ろがライトで明るく照らされて、逆光の中辛うじて見えたのはパトカーの横についているあの赤提灯だった。そこで土方さんの乗ったパトカーかなと私は何となく判ったのだった。土方さんも銀ちゃんも私も、みんなうそつきだ。しかも、そのうそがばれてないと各々が思い込んでいる。

土方さんと銀ちゃんのどっちの方がキスが上手かったかなあと、強くぶつかる光線の中で考えた。










(自分勝手な人間たち)