屯所のある小さな小部屋。長い廊下の渡った先のその小部屋がお前の部屋だ。そこにお前はいる。
 明日も明後日も、俺はそこへ向かうのだ。


 女の隊士なんだから男の住んでいる所から離れた所に部屋を用意すべきだ。フェミニストを気取ったつもりだろうか、そのような土方の提案により、あいつは長い廊下の先にあるその小部屋に住まわされていた。女の子だからって皆のいる所から離すのってかえって逆効果なんじゃないか?万が一天文学的な確立であいつが男に襲われるような事があれば、それがいち早く気づけるような場所――例えば俺の部屋の傍、など――に配置すべきなんじゃないかと俺は心密かに思っていた。しかし部屋の場所はもう変わらない。俺の不安は消えない。土方に話してみても駄目だった。お前は何がするか判らん、あいつが危険だ。そのようなつもりで発言したつもりでは無いのに、あいつは俺の意見を却下した。そこで俺はひらめいた。それならば、俺があいつを護ればいいのだ。これで問題解決。俺があいつに常に気を配っておいて、もしあいつに何らかのピンチが訪れたら、駆けつけて不逞な輩を叩き斬ってしまえばいい。

「おい」
「何」
「お前今日は隊服も着ねえで何してるんでィ。仕事しろィ」
「総悟に言われたくないし!私今日は暇を戴いてるの。休みなの!総悟と違って」
「何でィ”いとま”って?」
「馬鹿総悟。休暇って意味だよ」
「ふーん」
「うん」
「で、そんな格好している訳かィ?」
「ば!うっせ!寝巻姿でごろごろしていただけだし!レディがそんな姿で居る時にいきなり尋ねてくるアンタが悪い!」
「安心しろ、絶対襲ったりしねェから。例え襲ってくださいと金渡されても御免だねィ」
「出てけ」
 言葉とは裏腹にお前は楽しそうに笑った。それを見ると胸の内側がくすぐったくなる。
「総悟は仕事行かなくていいの?」
「他の奴らがやってるから俺は行かなくていいんでィ」
「何その理論。隊長がぁーそんな事でぇーいいんですかあ?」
「いいともー!」
「きしょ。土方さんにチクってやる」
「おう。やれるもんならやってみろィ、鼻フックお見舞いしてやらァそして前半部分一体なんつった?」
「・・・・」
「・・・・」
「私着替えたいからちょっと出といてよう」
「何しらばっくれてんだ、きしょって言ったろィ?ちゃんと聞こえてんでィばーか」
「酷い!なんか性格悪い!」
「あー最近ムチ使ってねえなあ。あ、見たい?持ってこようか?」
「すみません」
「・・・・」
「てか何で知ってるくせにわざわざ聞いたんですか。てか、私さっき言った事聞こえました?私着替えたいんですけど」
「しゃあねえな、しっかり見といてやるから今すぐさっさと着換えろィ。俺はそんな気長じゃないんでね」
「ねえ総悟くん私の話聞いてたあ!?」
 俺は退かない。お前ははあ、とため息をついた。
「もー!」
「ほら早く」
「もー本当いじめないでよ」
「ドSなんで」
「いや知ってるけどな!」
「実践してやろーか?」
「結構。本当着替えたいからちょっと部屋の外出ておいてよ」
「いやだ」
「はあ!?何でよ、というか、総悟本当は仕事しなきゃいけない身なんだからね?こんな部屋で油売ってる場合じゃないんだからね?」
 俺はこんな風にしてお前に意地悪をするのがすきだ。この間だけでも俺は俺に戻れる。俺はお前以外に俺の本当の姿を見せたりしない。俺が在りたいように存在出来るこの空間は、今だけは誰にも侵せはしない。お前と俺の二人だけが存在しているこの小部屋だけが、心の底からの感情を引き出してくれる。
「俺はあんな所に戻りたくは無いんでさァ」
「いや、仕事じゃん」
「んなものハナっからやる気なんて無いんでさァ!」
「っおーい土方さあん!此処に総悟いるんですけどー!彼全力でさぼってますー!」
「馬鹿、そんな大声だしてもあいつにゃ聞こえやしねえよ」
「うう・・・」
「恨むんならこんなとこにお前を押しやった土方を恨むんだねィ」
「土方さん良い人だもん」
「何がもんだ気持ちわりい」
「・・うう」
「・・・・」
「・・・何そんなにやにやして」
「仕方がねえ、仕事しにいってくるか。邪魔したねィ」
「いや全く」
「鼻フックされたい?」
「すみません」

 仕事は特別な場合を除けば毎日ルーティーンワークだ。最近その「特別な場合」が増えつつあるのは、最近過激攘夷派が3つも4つも分裂し、お互い抗争を始めたかららしい。お互い殺し合いだなんて、古代からやってきた事は全く変わんねえな、俺は無関心に街を歩く。色のついていない街だ。何を見てもそこに感情を動かされる事は無い。俺は途中コンビニに寄ってアイスを買った。隊服のコートが少々鬱陶しくなるくらい暖かい日だったからだ。ついでにチロルチョコも3つ買った。今日の朝邪魔したお詫びだと言って持っていこう。口実が上手い具合に出来た気がして、俺は足取り軽くコンビニから出た。
 適当に見回りを済ませて屯所に帰ると土方が居た。最近奴は俺が堂々とサボっていても何も言わない。土方はしばらく俺を見つめると、4時から会議だからな、と言った。知ってやす。そう俺が返すと、土方は挨拶のつもりだろうか、軽く手を上げた。
「何でィ、気持ち悪。土方のセクハラ」
「オイ何でだよ」
「切腹しろィ」
「お前がな!!」

 怒る土方から逃げるようにして、俺はまっすぐあいつのところへ向かった。勿論ポケットの中にはチロルチョコが入っている。ポケットに手を突っ込み、指先でそれらを絡めて遊びながら俺は長い廊下を歩いた。誰も居ない廊下は、俺の足音だけを吸っている。
 言いたい事があった。口にするのも恥ずかしいが、それでも俺の中にしっかりと根をはってるんだから、しょうがない。その根を張ってる感情の名前に気付くまでより、気づいてからの方が長かった。気付いてから俺はお前を邪険に扱ったり、そのようにしたかと思えばこんな風にベッタリになってしまって、お前からしたら本当に迷惑な話だろう。それもきっとこの言葉のお陰で終わらせられる。口に出した方が何倍も良い事だって判るまでこんなに時間がかかってしまった。
 あいつの部屋の前まで来ると、口元がにやけるのが判った。なにかが胸から火山のように噴き出て、熱い。情けない事に、少し手が震えた。

「おい」
「何」
「何でィ、まだ寝巻なのかィ」
「うん」
「何してんでィ。全く、年頃の女がするような事とは思えねーな」
「いや全く。何で私今日出掛けなかったんだろって後悔してたとこ」
「じゃあ何だ、今日は一日中こんなとこでごろごろして過ごしたって訳ですかィ」
「そういう事ですねィ」
「何口調真似してんだ。きしょい。今すぐセクハラの罪で切腹しろィ」
「なんで!!」
 くすくすと笑いながら俺はポケットからチロルを取りだした。お前はそれを見て目をまんまるにする。まだ何も言ってないのに、満面の笑みで俺を見つめ返す。かわいい。
「くれるの・・・!?」
「・・・・やっぱ俺が食べちまおうかねィ」
「えっ・・・」
 何世界が終わりみたいな顔してんだ。俺はチロルを取りだし、お前に握らせた。お前の顔にはまた花が返り咲いた。俺はどうしようもなく口元が緩むのが判った。もう隠そうとも思わなかった。
 朝見た様子とは違って、髪はきれいに梳かされ、うすく化粧してあった。唇はリップクリームを塗った後だろうか、つやつやと光っていた。
「お前、こういう所は女なのな」
「え?」
「こんな不細工で、大雑把で、女らしくなくて、」
 泣き虫で弱虫で馬鹿で物に釣られやすくてゲンキンで

「そういう女なのに、どうにもほっとけないのは何でかねェ」
「へっ?」
今俺はきっと、世界で一番優しい笑顔をしているに違いない。

お前はどんな顔をして俺を見つめ返すだろう?驚いているだろうか?顔を赤くするだろうか?それとも、喜んでくれるだろうか。


「好きだ」



 そう呟いた俺の眼の前には小さな写真立てがある。俺の両手に収まるそれの中の、お前の優しい笑顔は俺を見つめている。否、その眼は俺の後ろに広がる、来るはずの無い遠い明日を見ている。
 この小さな仏壇―――仏壇とも言えないものだが、これは俺が作った。あいつの住んでた部屋に小さなテーブルを運び込み、写真立てを置いた。そして、お菓子を買ってきてはちりばめた。お前と、俺がたまに買ってくるお菓子と。これが在る限り、俺はお前とずっと会話してられる。俺がいくつになっても、お前は若いまま、あの日のままだ。お前が居なくなったあの日からも、全てが異常なく動いている。その事に俺がいくら腹を立てても、こんなの違うと叫んでも、決して世界は変わろうとしなかった。お前がいなくても皆は大丈夫だ。皆、元気にやっているよ。勿論この俺でさえも、この部屋に来ればお前に会える。お前無しでも世界は辛うじて均衡を保てる。これでいいのだ、何も心配いらない。
 小さな机の上は色とりどりの小さなお菓子で一杯だ。写真の一番近くに、俺が今日買ってきた3つの小さなピンク色のチロルチョコレートが置いてある。お菓子のどれもこれもが、あいつが好きなものばかり。そしてこの部屋で、俺は毎日お前に想いを告げる。
 その度に、お前は喜んでくれるのだ。一度も、実際にそうしている彼女の姿は見た事無いが。しかし、総悟ありがとう、私も総悟が好きだと。あいつならきっとそう言ってくれると、俺は信じている。写真しか無いこの部屋だって、俺が踏み入れればそこにあいつが舞い降りる。あいつは俺の前で怒ったり、泣いたり、笑ったりする。思い出だけの存在じゃない。幻なんかでは決してない。土方は俺に前を進め、と言った。この部屋にはもう入るな。仏壇なんかに語りかけたって、笑いかけたって何も変わらない。何の意味も無い、そうあいつは言った。それは土方自身にとっての話であって、俺にとっては意味の無いものなんかじゃない。何故なら俺はこの部屋であいつと語るだけで、平穏と俺自身を取り戻せるのだから。
 二度と聞けぬお前の声、しかしその声が無くたって、お前はこうして思い出の中で俺の想いに応えてくれる。前になんか進まなくて、いいんだよ。





 屯所のある小さな小部屋。長い廊下の渡った先のその小部屋がお前の部屋だ。そこにお前はいる。
 明日も明後日も、俺はそこへ向かうのだ。そしてかわいいお前に愛を囁く。








everything is ok.

何も心配いらない。 大丈夫だ。





20100523