私を、置いていかないで。
今日はあいつが来る。私はそれだけで胸の中がむかむかして堪らなかった。昨日の晩の電話からずっと、気持ちが悪い。顔色が悪いな、と先程奴に声を掛けられた。何でもないと答えたその声がとんでもなく不機嫌に響いたのもそれは仕方のない事。私は、一つも、悪くない。
昨日の晩の電話。その電話をとった奴の声は声色からして違った。私は耳をふさいで、これ以上奴の声が入ってこないようにした。その時新八が私の様子を見て「神楽ちゃん」と小さくつぶやいた。お前は何にも思わないのか。腹は立たないのか。あいつを殺したいと思った事は?「だって、銀さん、すごく幸せそうじゃないか。さんもいい人だし、僕はそんな気持ちになったことなんて無いよ!!神楽ちゃんは、嫉妬してるだけだ」それはお前に姉がいるから。身よりがあるから。居場所があるから。私には無い。此処を除けばこの星の中に私の居場所はもう無い。お前はいいね、仲よしの姉がいて。優しい姉がいて。
あの人が銀ちゃんと付き合い始めてからいい事ばかり?ちがう。現に私はとても不幸。銀ちゃんが幸せになった?ちがう。あの女に騙されてるだけなの。皆祝福してる?ちがう。ちがうちがうちがう。それは大間違いだ。私が最後まであいつを憎み続けるから。心の中で何度も殺すから。私が嫉妬しているけれど、それは私の世界の為に仕方のない事だ。でも新八はいくら説明しても判ってくれようとはしなかった。ただ新八は首を横に振るだけ。ああこいつも向こう側に取り込まれてしまったのだ!それはもう一度あいつの存在を恨むのに十分だった。
大体、私の方が付き合いははるかに長いのに。自力で築き上げた居場所なのに。なんでそれをぽっと出のあいつに土足で踏み入れられなければいけないの。私が何か悪い事したの。どうしてあいつは私に優しそうなふりをして歩み寄ってくるの。私はお前と仲良くするつもりなんてない。銀ちゃんだって。何で私を怒るの。悪いのはあっちなのに。ずるいのはあっちの方なのに。「お前は何がそんなに気に入らねえんだ」自分の胸に手え当てて聞いてみろよ。死んでしまえ、もう皆死んでしまえ。そう思ってそれから自分がその気になれば二人とも殺せるんだと気づくと頬をつうと涙が伝った。何の涙かはわからなかったがとてもしょっぱかった。ぴんぽーんと呼び鈴が鳴ると、それまでずうっとつまらなさそうにジャンプを読んでいた奴は飛び起きて、(何時もは絶対にしないのに)玄関へ飛び出していった。とうとう奴は私の様子に気づく事は無かった。すぐに楽しそうな2つの声が廊下を伝って私の耳の中に入り込んでくる。
ああ胸糞悪い。そんな女の何処がいいの。私に判るように説明して。
私を、置いていかないで。
「ばーか」
今日新八はいない。
「2人だけで楽しくばっかして・・・」
ゆらりと立ち上がり台所へ歩を進めると、そこには洗いたての包丁があった。きらりと水滴で光が反射して、綺麗だ。新八はこれを洗ってから出て行った。
「私は置いていきぼりかよ。ふざけんな、」
なんとはなしに手をとった。包丁の柄は濡れていた。包丁に映っている自分の顔は歪んでいて暗かった。目が綺麗だと自分で思う。でも銀ちゃんは私ではなくあいつの目を褒める。私の目じゃまだまだあいつのには及ばないらしい。ひどい、ひどいよ銀ちゃん。包丁を握っているとあらゆる想像が頭の中を駆け巡った。その中で私が包丁を投げるとあいつの目に刺さるという絵を見つけた。私なら出来る。それが。
私はゆっくりと包丁の柄を握りなおした。
「おい神楽、来たし一緒に――」
その時銀ちゃんの声がした。そちらを振り返ると、同時に息を呑む音が聞こえた。ダン、と床を強く蹴って銀ちゃんがこちらへ走ってきた。抵抗する間も無く、私の包丁を持った手が強くつかまれ、身体ごと引き倒された。床に頭を強く打ちつけ、めまいがした。見ると、私の身体の上に白い着物と白い頭が見える。怖い顔。
「何やってんだァ!!」
「何?こっちのセリフよ」
だから私何も悪くないって言ってるでしょ、悪いのはそっちでしょ、私何もしてないでしょ?あなたが悪くなってずるくなって汚れてしまったのも、それはあいつがやって来たせいなの。ね、私じゃないでしょ?だから、私を置いていかないで。そんな目で、私を見つめないで。その眼差しを向ける相手を間違っている。それは、あいつにだけ向けられるべきものなのに。
(でも、私はそれ以上何もいわなかった)