正直、サラダをつつくので精一杯だ。はフォークでレタスをもてあそぶ。辰也はその横で涼しい顔をして食事を進めていた。皿の上にある手のひら程のステーキは、彼によってすでに1/4ほどになっていた。には半分の肉を食べるので精一杯だった。ご飯には殆ど手をつけていない。カップケーキのせいで、とんと食欲がわかないのだ。ママは、そんなの様子をいぶかしげに見つめていた。いつもたくさん食べる彼女が、めずらしい。腹でも壊したのか。そんな事を考えていた。四角いテーブルを取り囲む四人は、特に会話もなく、それぞれ黙々と夕食を食べている。の正面にはパパが、辰也の正面にはママが座っていた。

「今日はどうしたの。いつもはたくさん食べるのに」
「なんだか今日、お腹いっぱいで…」
「何か帰りに食べたの?」
「うん、ちょっと…ね。ごめん」
 申し訳なさそうにはうつむいた。ママの顔がほんの少し険しくなったのを見て、慌てて目をそらしたのだ。
「ごめんって」
「辰也はしっかり食べてるわよ」
「俺は男の子だから。ほら、ご飯貸して」
 が不思議そうな顔で、白いご飯の入った手つかずのお椀を辰也に渡すと、辰也はその半分を自分のお椀に移した。空になりかけていた辰也のお椀は、再び白い塊でちょうど椀の半分程が埋まった。
「ありがとう…」
「残った分はしっかり食べて。夜中にお腹すくよ。肉もちょっと俺の皿に移していいから」
「うん」
 はおずおずと、自分の皿に残った肉を切り分けた。肉は少し冷えてしまっていたようだった。ちょうど自分の皿に残っていた分の4分の1ほどを辰也の皿に引き渡す。ママは呆れたように言った。

「こら!辰也にいつまでも甘えてちゃ、だめなのよ。もう15歳でしょう?」
「うん」
「辰也も、を甘やかしたらダメよ」
「いや、ついね。今日帰りにカップケーキ食べようって言ったの俺だし」

 すると、ずっと黙っていたパパが重たい口を開いた。

「遅いと思っていたら、そんなもの食べていたのか。食事の前に、そんなもの食べたらだめだろう」
「うん。ごめんね、父さん」

 非難めいたパパの口調に辰也は首をすくね、「ご飯は俺がの分もしっかり食べるからさ」となだめるように言った。は目の前にある、半分に減らされた椀をぼんやりと見つめた。まただ。また、辰也が庇ってくれた。辰也はいつも庇ってくれる。私が二人の間で悪い子にならないように。の口の中でまばらになった米がほんのりと甘くなった。まずい米を飲み込むと、喉がいつもより大きく膨れた。辰也はいつも通りに食事を続けた。パパも、ママも。だけが、違った。いや、はいつも違う。だけがいつも、この家で浮いている。汚れている。だけが。そしてそれに、辰也だけが気付いて、手をさしのべてくれる…。

 は口をきゅっと引き結ぶと、観念したように食事を再開した。腹が重たく、石のように固くなっていく。我慢しなきゃ。は一心不乱に冷えたゴムのようなステーキと格闘した。パパはそんなの様子を、固い表情でじっと見つめていた。





 じゃーじゃーと、蛇口から水が勢いよく飛び出ている。食器洗い器が故障したせいで、食事が終わった後ママは4人分の食器と格闘しなければならなかった。辰也が横で食器洗いを手伝ってくれている。パパはとっくに自室へと消えたので、今この部屋に居るのは自分と辰也だけだ。自ら手伝いを申し出て、手際良く食器洗いを片付ける彼は、我が息子ながら出来た息子だと、完璧だと思う。同じ年頃のと比べずとも、辰也はよく出来た息子だった。血はつながっていないが。

「ねー辰也、辰也ぁ」
「なあに、

 向こうの方から小さく聞こえるの声に呼ばれて、辰也が手を止めた。水音に邪魔されたその小さな声は、ママでも辰也が反応しなければ気付かないほどであった。辰也は「少し行って来るね」と言って手をタオルで吹くと、吸い込まれるようにしてドアの向こうへと消えて行った。まただ。ママは食器を洗う手を止めた。の声がしたのは廊下の向こうのバスルームの方から。彼女はシャワーを浴びると言っていたから、大方タオルか何かを忘れて、辰也を呼んだのだろう。彼女はよくタオルや下着をバスルームに持っていくのを忘れる。何度やっても学習しない。辰也の笑う声と、何か足音がした。やはりタオルだ。がちゃり、と音がして、何処かのドア、この音質からしておそらくバスルームのドア、が閉まったのを知る。しかし辰也はこちらに戻って来る気配は、一切無かった。

「………」

 ママは食器洗いを再開しなかった。それどころか水を止め、耳をすませた。やはり、辰也は一向に戻ってくる気配はなかった。






「はいこれ、タオル」
「ありがと」

 辰也の目の前には、恥ずかしそうにしてタオルを受け取る、ずぶぬれのが居た。胸から下全てを隠すように、はタオルを伸ばして自分の身体に押し付けた。ささやき声で、は礼を言った。二人は家の中に居る時は、いつもより数倍気を使う。両親が自分たちを疑っているのは、火を見るより明らかだからだ。

「いつもはタオルを忘れるね」
「だって忘れても辰也が取ってくれるから」
「あのねえ。もし俺じゃなくて彼が来たらどうするんだよ」
「そうならないように、辰也がすぐ来てくれるって判ってるもん。ずっとお風呂が終わるまで、待っててくれてるでしょ?私、知ってるよ」
「すっかり俺に甘えてるね」
「辰也が甘えさせてくれるんだもん」
「身体が冷えるよ。はやくちゃんと拭いて」
「辰也が拭いて」
「俺、今母さんの手伝いしてて忙しいんだけど」
「おねがい」
「…ああもう、仕方ないなあ」

 はあ、と大げさなためいきを一つついて、辰也がの持つタオルを手にとった。は裸体を彼の前にさらすことを全く臆さない。辰也もまた然り、さも当然といった様子での身体をタオルで丁寧に拭いていった。何でもないという風な顔を装ってはいるが、しかし実際は舐めるように見てしまう異性の身体は、辰也の理性をあと少しで吹き飛ばしてしまいそうだった。辰也の視線がある一点で止まる。の発達途中の乳房と乳房の間には、親指の先ほどの大きさの青あざがあった。辰也はの身体を手早く拭きながら忌々しげに舌打をしたが、それはには聞こえていないようだった。

「あざ、消えないね」
「うん。まだ抑えると痛いの」
「かわいそうに…」

 辰也がそっとそのあざに触れた。これは、彼がの乳房を思い切りひっつかんだ跡だ。忌々しい事件をにいつまでも思い出させるこの痣は、出来て10日ほどとなるのに未だに色あせなかった。水滴に濡れるそこは、に施された何かの悪い呪いのようだった。辰也はあざから視線をむりやり引きはがし、手を動かすのを続行した。の身体は細くて、でも同じ年頃の女の子にしては女らしいからだをしていると辰也は思う。胸が大きいし、細いくびれと少し出たヒップが悩ましい。性欲がむくむくと首をもたげた。今日は裸で抱き合って眠りたいと思っているうちに、辰也はひらめいた。

「そうだ」
「何?」
「俺もアトをつけたいな」
「え?」
「ねえ、つけてもいいかい」
「いいけど、どこに」
の胸」

 辰也は口の端をつりあげると、唾液でにぶく光る犬歯が見えた。がこら、と声を上げる前に辰也はの右胸の、丁度乳首の上にかぶりついた。湿った辰也の口の感触に、確かにの脊髄に快感が走った。しかし、そのすぐ後にぎゅっ、と思い切り吸われた。突然の痛みに思わず声が出るほどだった。「いたっ…」辰也はそのままたっぷり10秒ほど吸い続け、ようやく胸を口から離した。見ると、乳房の間の青あざと同じくらいの大きさの、あかぐろい痣がそこには鎮座していた。が真っ青になる。思わず大きな声が出た。

「ちょっ、何してんの、辰也!」
「ああ、きれいについたね。これ、2週間はとれないんじゃない」
「結構痛かったんだけど!てか体育の時間の着替えの時、見られたらどうすんの…」
「大丈夫ブラで隠れるよ、この位置なら」
「うわ…っ、なんか紫色っぽいっていうか、変な色になってるし!どれだけ力入れたの」
「思いっ切り吸ったからね。でももしあれを乳首にしちゃうと、きっとの乳首取れちゃうな。の乳首が取れてしまうと、俺の楽しみが減ってしまう」

 くくくと喉の奥で笑う辰也の肩を、は切実な批判を込めて叩いた。「ばか、変態」がつぶやくと、辰也はそっと唇をに寄せた。濡れた髪が辰也の額や頬を濡らしたが、彼は全く気にしなかった。熱い湿気と一緒に、石けんのいいにおいがする。それだけで、辰也は密かに胸を高ぶらせた。

「ねえ、。今日は俺のベッドで、裸で寝ようか」
「いいけど、辰也、我慢出来る?」
「ん、がんばる」
「私は大丈夫だけど…辰也いっつも我慢しきれてないじゃん」
「我慢してるよ」
「うん、でもいつも勃ってる」
「それは許してくれよ。俺だって必死なんだから」
「うん、それは、そうだけど…辛くない?」
「その辛さをもってしても、と手をつないで寝たい」
「そう?」
「だから勃っていても、気にしなくていいよ」
「でも、押し付けてくるじゃん」
「俺も男なんだ。仕方ないだろう?ああ、でも今度、の足でオナニーするのもいいな」
「本当に、辰也は変態」

 二人で額を寄せ合って笑いあう。だから知らなかった。
 目を見開いた母親が、バスルームの扉に耳を押しつけ、二人の会話を盗み聞きしようとしていたことなど、知らなかった。











 いつからだろう。
 いつから、あの二人はあのようになってしまったのだろう。
 わからなかった。
 どこから、いつから始まったのか。そんな境界線など、彼女には検討もつかなかった。
 あの兄妹は、とにかく様子がおかしい。
 
 おかしい!!

 あいにく、バスルームの扉は防音のためか厚くつくられており、二人の会話はあまり聞き取れなかった。しかし、たまに漏れ出る二人の忍んだような笑い声は、彼女を絶望させるのに十分だった。扉から離れ、よろよろと来た道を帰った。そのままキッチンへ。心なしかくらくらと揺れる足下から、家が崩れていきそうだった。胸がむかむかとして、それでいて熱くはちきれそうだった。まさか。まさか。まさかまさか。出来れば信じたくない、恐ろしい予感に、指先が震え、顔から血が引いて行った。何も考えられない。重たい芯のようなものが頭から足のつまさきまで通っていて、どこも動かせない。自分の身体ではなくなってしまったようだった。急に吐き気が襲って来た。口を開け、流しに向かって身体をくの字に折り曲げてみるが、今日食べたステーキは二度と食道を逆流してこなかった。じっとりと、いやに熱い汗が背中でべちゃりと服につぶれた。心臓だけが、妙に興奮した音を立てて彼女の身体の中で動いている。

 ママは閉まったままのリビングの扉をすがるような目で見た。まだ、辰也はもどってこない。