十月四日
 
 今日は夢のことをまず書かねばと思う。夢の中で、私は誰かにキスされた。といっても、頭にちゅっとやるだけの、外国人が挨拶でやるような、とびきり軽いやつだ。でも、折角の美味しい(?)夢のはずなのに、誰にされたか覚えてない。甘い言葉を囁かれた事は覚えてるのに。ああ、誰にされたかっていうのが一番大事じゃないか。場所は教室だったのは覚えてるんだけどなぁ。誰かな?芸能人?先生?クラスメイト?…もしかして、火神くんかな?と、彼の名前を思い浮かべると、私は急に気恥ずかしくなりベッドの中で一人悶えた。私、なんでこんなにどきどきして、にやにやしているんだろう。謎の動悸がしている。身体の中をせりあがる、この熱い感覚は何だろう。もしかして…いや、今は一旦忘れよう。相手が火神くんなんて、そんなの槍が空から降るくらいあり得ない。忘れよう、今日の夢のことは。その方がきっといい…。

 忘れよう…。


 忘れよう…。


 忘れよう…。


 忘れよう…。
 としていたのに、今日は残念ながら一日中夢のことを思い返していた。頭の中で反芻すると中々心地よい。あのくすぐったいような嬉しいような感覚は何度でも味わいたくなるし、その他に何も考えられなくなる。それを考えると、頭の中がピンク色になってふわふわして、とても気持ちがいいのだ。しかし、その原因になりつつある男が、私の隣の席で一日中あれやこれやと話しかけて来るのだからたまったものではない。しかも話の内容に色気はゼロというものだから、少々がっかりせずにはいられない。それでも、おニューのシュシュを褒められた時は、ちょっと嬉しかったけれど…でも、やはり全体的に少し素っ気なくしてしまったかもしれない。私は照れると素っ気なくなるタイプだったのか…知らなかった。
 午前中の態度を省みて、なんだかとても申し訳なくなったので、お昼ご飯の時にいつもおやつ代わりに食べている大きな飴を、火神くんと、更に火神くんと一緒にご飯を食べていた黒子くんにくれてやった。口に入れたらしゅわしゅわ泡を吹く飴だ。食べ過ぎると上あごが削れて痛くなるやつ。
 そこで初めて判明したのだが、火神くんはなんと、飴をがりがり噛み砕いて食べる人種だった。私のあげた飴はものの30秒ほどで彼の口から姿を消した。その上足りない、もっと寄越せと言ってくる。あの短い時間で、彼は結局、私の飴を5つほど(奪って)平らげた。信じられない、阿呆か。これは飴に対する冒涜である。元々飴というものはもっと舐めて、味わって食べるべきお菓子なのである。しかも足りないから更に寄越せだなんてなんたる了見だ。飴がかわいそうである。その直後、この飴のせいで口の上側が痛いと文句を足れてきたが、私は無視した。そのまま奥歯が虫歯になればいい。
 掃除を終わらせて帰ろうと、教室で荷物をまとめていると、黒子くんが私に本を差し出した。これなあに、と尋ねると、前読みたいとさんが言ってた本です、と黒子くんはロボットが話すみたいな感じで答えた。私は、彼とそんな話をした覚えがなかった。あ、そうだったっけ?口から思わず失礼な答えが零れ出て、その後猛烈に私は後悔した。黒子くんの能面みたいな顔が、少しだけ変化したからだ。しかも悪い方向に。私はああ、あの時か、どうもありがとう、なんて見え透いた取り繕いの言葉を並べて彼の本を受け取った。でも私の本心が見え見えだったのだろう、約束、忘れてしまいましたか…?と黒子くんは沈んだ声で呟いた。その一言で、私の良心が悲鳴を上げた。多分、私は家庭科準備室の掃除の時にでも、本を貸してくれと彼に頼んだのだろう。全く覚えていないけれど。それ以外、彼ととりたてて話した記憶は無いから、おそらくあの日にそんな約束をしたのだ。したに決まっている、彼が現に本を持って来ているのだから。…多分。私は少々混乱しながら、ごめんごめんと何度も謝った。黒子くんはその後、部活に行くと言って、幾分か沈んだ様子で教室を出て行った。私はそのしょげた後ろ姿を見て、あああああごめんなさいいいいいと何度も謝った。

 本はあまり好きではないけれど…これは何としても読もう。本当に申し訳ない。黒子くんごめんね。












十月四日

 今日はいい夢を見ました。いい夢、と表現するのも何だか違うかもしれませんが、とにかくいい夢でした。僕はさんと教室で二人きりでした。夢の中では、やはり僕は饒舌で勇気がありました。僕はさんとの会話を楽しんだあと、その後で、少しさんを抱き寄せ、頭に軽くキスをしました。さんはそれを受けて幸せそうに微笑み、僕の名前を呼んで僕に身体を預けました。心地よい重みが僕の身体に加わるのがたまりませんでした。僕はさんの顎を掬いました。そしてそのまま顔を近づけて、…目を覚ましました。そうです。じりじりと五月蝿い音を立てながら、今日も現実の使者が僕を連れ戻しにきました。何故こんな夢を見たのか、理由ははっきりわかります。それはもちろん、火神くんがさんの頭に鼻を寄せた時、僕にはそう見えてしまっていたからでした。僕は目が覚めた瞬間、目覚まし時計を消して、朝練のことは忘れてもう一度目を瞑りました。…しかし、夢の続きを見る事は出来ませんでした。
 珍しいな、お前が朝練休むなんて。と火神くんは席に着くなり言いました。今日は目覚まし時計が壊れたんです、と馬鹿馬鹿しい嘘をつくと、お前ドジだなーと笑われました。英語で20点もとる火神くんよりは、そうですね、ドジかもしれません、と言うと殴られそうになりました。僕は暴力には断固反対します。
 さんは、今日はいつもと違いました。可愛いピンクのくしゃくしゃした、すきとおった石のかざりがついた布のようなもので髪を一つに束ねていました。僕は女の子の小物についてよく知らないんですが、あれは確かシュシュと呼ばれるタイプのものです。あの一つくくりの姿には見覚えがありました。ああ、また会えましたね、なんて彼女のななめ後ろから心の中で問いかけます。もちろん気持ち悪いのはとっくに承知しています。
 今日はいい事がありました。と書くと、また語弊がありそうですが、さんが飴を一つくれました。火神くんは、もっと寄越せと言って5つくらいもらってました。僕はそんなこと言い出せません。もとより飴なんていらないけれど、神様は不公平だ。
 今日こそは、さんに本を渡そうと思い、掃除が終わったのを見計らって勇気を出して話しかけました。しかし、僕とした約束を彼女は覚えていない様子でした。ショック、でした。はっきり言って、がっかりしました。当然彼女はこの本を待っていてくれたと思いこんでいました。その様子を僕も表面に出してしまっていたと思われます。彼女は申し訳なさそうに本を受け取りましたが、果たして読んでくれるのでしょうか。…いや、読んでくれないと思います。数日後、多分やっぱり読むのをやめたと言われて返されるのがオチでしょう。そう思うと何だか悲しくなってきて、その後さっさと部活に行きました。火神くんが敏感にも何か感づいて僕に元気がない、どうかしたのかと聞いてきましたが、無視してしまいました。今日は早く帰って、眠りたいです。